笑顔でいられたらそれだけでいいの

いろんなことがあった40数年。少しずつ整理していきます。

母は強いって、誰が決めたのかしらないけど

ままちゃんは

強い母になりたかった。

 

なぜかというと、

自分の母が強かったから。

 

昭和の家庭なので、

父親が家のこと、子どものことをほとんどしなかったのもあるけど、

あの時代、

車の免許も持たない母は、

よくやっていたと思う。

自分のすべてをかけて、育ててもらった自覚があります。

 

今みたいに、子育てにいろんな手助けもなく、

補助もなく、

ただただ、母がしんどい時代。

 

でも、

母は一度も、

あんたたち子どものせいでしんどい、

とは言いませんでした。

愚痴もこぼさず、

ただひたすらに、

家族のために生きている感じでした。

 

あとは、

わたしの愛してやまない、

大草原の小さな家、のかあさん。

 

強いなんてもんじゃない。

何にも動じない、

家族への愛情も深く、

自分よりも家族のために、生きている。

そして、なんでもやる。

 

わたしは、そんな母親になりたくて、

がんばってきたけど、

結果、

長女が不登校になる、という、

なんだか、

母として、だめだったんじゃないの?と

思ってしまうようなことになり、

自分を責めました。

 

どこで、

なにを間違えたんだろうって。

 

考えたけど、答えは出ませんでした。

 

多分、正解とか間違いとか、そういうもんじゃなく、

全ては、起こるべくして起きたのではないかな。

偶然の重なりで、世の中動いていて、

わたしが今、こういうブログを書いているのも、

偶然か必然か。

 

ただ、今現在、お子さんが不登校で、

悩んでいる人、

自分を責めている人がいたら、

大丈夫だよって、言ってあげたい。

 

お母さんだからって、

なんでもできて強いわけない。

お子さんが不登校になったのは、

お母さんのせいじゃない。

 

誰のせいでもなくて、

責める相手はいないということ。

 

子どもも悪くないし、

お母さんも悪くない。

学校とか、周りの子どもとかのせいでもないと思う。

なにかのせいにして、

それを責めてる時間はもったいないから、

これからどうしていくかを

見ていけばいいと思う。

 

わたしはずっと、

どうしてこうなったんだろう、

こうなったことの意味はなんだろうって、

考えていました。

 

何事にも意味はある、と思っているので。

 

まだ答えは出ていないけど、

わかるのは、

長女が不登校になってから、高校中退するまでの、

2年ほどは、

決して無駄な時間ではなかったということ。

今にたどり着くまでの、必要な時間だったということ。

 

もしかしたら、

あの時こうしていたほうがよかったって、

あとから思うことがあったとしても、

それはもうあとのまつりってやつで、

振り返ってる暇はないんじゃない?

 

今長女が笑顔を見せてくれる、

それだけで、十分。