笑顔でいられたらそれだけでいいの

いろんなことがあった40数年。少しずつ整理していきます。

ままちゃんが抱えていたこと

さて。

 

高校に行かなくてよくなった長女、

そこのストレスはなくなったようですが、

一度病んだ心はなかなか復活できず、

お薬を飲みながら、

バイトにも行きながら、

でも、

家にいる時間が多く、

ひとりの闇の世界にいるようでした。

 

わたしもパートに出ていたので、

朝、わたしが行く前には起きてきて、

わたしが行くまでそばにいて、

いってらっしゃい、と送り出してもらう生活でした。

 

バイトに行くことがきつくなっちゃっているときは、

わたしがパートに遅刻してでも、

送り届けたりもしていました。

 

わたしがパートから帰ると、

自分の部屋から出てきては、

おかえりーと出迎えてくれて、

そのあとずっと、そばにいました。

一日ひとりだったので、

さみしかったのかな、と

疲れていたけど、必死で受け止めていました。

 

わたしの生活が、長女の気持ち次第で日々、

変わること、

パートの休日も、長女に付き合って、

病院に行ったり、買い物に行ったり、

バイトの送り迎えをしたり、

赤ちゃんの時以来の、

振り回され方をしていました。

 

重ねて、

次女の習い事がなかなか忙しく、

夜はその送り迎えなどで、

ほんとにわたしは息つく暇もなかったと、

そう思います。

今思えば、だけど。

 

夫も協力はしてくれましたが、

仕事が遅くなったり、

長女がそのころはパパを受け付けていなくて、

なんでも、ママじゃないとだめ、だったので、

負担が余計に大きかったような気がします。

 

そんな生活、よくやっていたな、と思います。

わたしもメンタル弱めだったけど、

長女のことに必死になっていたので、

倒れるわけにもいかず、

ぎりぎり立っていたような気がします。

 

そのころ長女は、

中学校まで仲良くしていた友だちとも連絡を断ち切り、

ラインもほぼ消していたようです。

その分、ママに依存、されてる感じで、

正直、きつかったです。

だけど、自分しかいないと思って、

この手を離してはいけないと思って、

力の限り、握りしめていました。

 

実はしんどかった。

ママだから、なにがあっても、長女を守らなくては、

長女の味方でいなくては、というプレッシャー。

それでも、どうにもならない日もあって、

気持ちが折れそうになって、

全部放り出して、消えてしまいたいと思った日もありました。

それは数えきれないくらい。

 

でも。

明けない夜は、ない。

 

だから、みんな、生きていて。