笑顔でいられたらそれだけでいいの

いろんなことがあった40数年。少しずつ整理していきます。

過保護になる

わたしは、

過保護だった、と思います。

だから、

不登校になったかと言うと、

そうではないと思うけど。

 

過保護にしたのは、

長女がややこしくなってきた、

小学校高学年のころ。

 

反抗期早くない?

と思うくらい、

小3くらいから、

親への反発、口答え、妹をほぼ無視・・・

という、

それって、中学生くらいのやつでは?と思うくらいに

やさぐれていきました。

 

次女が6個離れていて、手がかかることもあり、

なんでも自分でこなしていました。

わたしも、長女は自分でできるから、

自分でやってね、と言うことが多かったと思います。

 

長女とままちゃん、

毎日のように、けんか、言い合い、

女の闘い、みたいなのが増えました。

次女は、静かにそれを見ていました。

そのときは、

長女よりも、次女のことが心配でした。

まだ、幼稚園だったのに、

ママとお姉ちゃんがけんか。

挙句の果てには、お姉ちゃんにお前なんかいなくなれと

存在すら否定され、

次女の心が傷つくのではないか、そっちが心配でした。

 

それで、

長女と言い合いの日々につかれたままちゃんが

選んだ道は。

 

もう、長女の言うことに肯定しかしないことにする。

こっちの言い分はひとまず引っ込める。

やりたいようにやらせる。

長女はわたしとか別の人格だということを

わたし自身がはっきり自覚し、

思い通りにしようとしないこと。

 

すごい忍耐力の必要な毎日でした。

最初は何回かに一回くらい、

言い返してしまい、

また大ゲンカ、とかを繰り返しつつも、

そういう意識で接しているうちに

ちょっと楽になりました。

長女自身も、自分から、今までやらなかったことも始めたり、

少し妹にも優しくなりました。

 

いつも妹に当たり、

お前がいるせいで、

おねえちゃんはしあわせになれないんだ、と

暴言満載だった長女でしたが、

長女が中一の夏くらいに、

ふと

次女に優しくなり、

さいころ、仲良く遊んでいた二人を

思い出せるくらい、

姉妹の距離は縮んだ気がしました。

長女の心になにが起きたのかは、

はっきりわかりませんが、

いったん気持ちが落ち着いたようでした。

 

しかし、

それでめでたしめでたし、となるわけでもなく、

そのあと、

わたしが過保護に徹するようになるのです。

 

今思えば、そのころから、

心療内科や、そののち通うことになる、婦人科に行っていれば、

もしかしたら、高校行けたかなあ、なんて、

また思ったり・・・。

 

しつこいままちゃんです。

前だけを見ようと、

日々思っているのにね。